田中和子の会ニュースから



またまた変更!!
区立第五・第七中学校建設案。教育委員会決定が変更に

6月6日 教育委員会決定
文京区教育委員会は「区立第五中学校と第七中学校を統合し、統合校を新大塚公園と教育センター敷地に建設し、2009年度開校」を決定。
 7月、1,155万円の契約金で設計の基本となる調査(基本調査)を依頼。

10月13日 突如変更で基本調査の納期を延長
統合校に併設予定であった教育センター機能のうち科学教育事業を併設しないことに決定。基本調査の締め切りを当初の10月20日から11月10日に延期。
(科学教育事業は旧第四中学校跡地に東大が建設予定の「学びの環プラザ」で行う方針が示された)

11月7日 教育委員会決定を変更!
11回教育委員会において、「統合校は教育センター敷地に建設、新大塚公園の一部を新校のグラウンドとして兼用するとともに、第七中学校跡地を新校のグラウンドにする。教育センターの統合校への併設はおこなわない」という変更を決定。
校舎は地上6階、地下2階、2009年当初に両校を統合、統合校の整備後2009年9月を目途に開校。
(新大塚公園に校舎を建設するには都市計画変更が必要だが、この手続きに時間がかかり2009年度開校が危なくなったための苦肉の策)

11月13日 文教委員会・建設委員会連合審査会開催
「教育センター敷地2800uに校舎を建設、第七中学校跡地7200uはクラブ活動の校庭に、新大塚公園は体育授業に使用する」、「公園の管理は教育推進部が行い、校庭開放として土・日曜日に区民の利用に供する」と教育推進部は説明。公園利用はこれまでより大きく制限される。

公園が残ってよかった」、「新校建設のためには仕方がない」 でも、ちょっと待って!

「公園も現状のまま残したい。校舎と校庭が一体の学校が欲しい」。ならば教育センターが併設されなくなったのですから、さまざまな検討をすべきです。

こんな案もあります

第七中学校敷地面積7,200u−新校舎建設敷地面積2,800u=4,400u。
校庭面積4,400uを右の表の中学校校庭面積と比べてください。第七中学校に校舎を建設しても広い校庭はとれます。校舎と校庭も一体です。老朽化した教育センターを壊したいなら、統合校のサブ・グラウンドとし、区民にも開放するテニスコートなどを作ってはどうでしょう。
建設にはクリアしなくてはいけない問題はつきもの。みんなで知恵を出し合えば解決します。

区内中学校の敷地面積と校庭面積(単位u
敷地 校庭
第一中学校 9,709 4,585
第三中学校 13,441 6,997
第五中学校 6,944 2,060
第六中学校 6,944 3,168
第七中学校 7,245 3,564
第八中学校 6,229 2,000
第九中学校 9,212 4,166
第十中学校 6,118 2,910
文林中学校 8,319 3,478
茗台中学校 6,702 4,390
本郷台中学校 8,301 2,799



憲 法 の お は な し

永井 元

■憲法はなんのためにあるのか
 人間は間違いを犯しますし増長もします。ちょっとした権力者の間違った政策で戦争がおき、国は崩壊してしまいます。そのため近代憲法では、国家権力の権限を制限し、あまり極端で誤った政策はとれないようになってきました。それと同時に国民にも権利と自由が保障されました。明治の旧帝国憲法でも伊藤博文は、天皇の権利を制限し、国民に自由と権利を保障することを宣言して出来ましたので、日本における近代憲法といえます。しかし、国民に個人の権利を認めることは権力者からみて不安があるため、翌年、教育勅語が憲法を補完する意味で制定されたのです。いずれにしても憲法は国権を制限するものです。一般国民は法律や条例で規制されます。

■現憲法ができるまで
 ソ連や中国共産党の台頭を押さえアメリカを中心とした戦後の軍事戦略を考え、いかに日本をアメリカ側に取り込もうかと、マッカーサーは戦争中かなり早い時期から日本の戦後統治の形態を研究していました。その結果、すべて日本人を統治することは天皇にしかできないことを結論付け、天皇制と行政機能をそのまま残すことに決めました。そして、ソ連・中国を含めた連合国各国が戦争責任でわずらわしいことを主張する前に一刻も早く日本をアメリカ側として独立させること、そして、そのために天皇を中心にした憲法をつくることを急ぎました。

■憲法はアメリカの押しつけか?
 マッカーサーは世界各国の手前も考え、あくまでも日本政府自らが憲法をつくるように働きかけました。日本の政府も民間もそれに呼応していろいろな憲法草案ができました。少し紹介します。
政府:法制局第一部長入江俊郎案、東久邇内閣副書記官長矢部貞治案、外務省政務局第一課第二課案、国務大臣松本烝治の憲法問題調査会案、内大臣御用係佐々木惣一案、近衛文麿案、憲法問題調査会宮沢俊義案
政党:日本共産党案、自由党案、進歩党案、社会党案
民間:布施辰治案、憲法研究会(鈴木安蔵・高野岩三郎)案
 このようなたくさんの草案の中で、右線の民間の憲法研究会の鈴木案が政府やGHQに提出され、マッカーサーは直ぐに翻訳し検討をしました。その案は日本政府にも提出されていたことから、政府からの正式な案を期待していました。ところが政府から提出された松本案がひどい内容だったため、新憲法を急いだマッカーサーは、GHQに憲法づくりを命じました。その時、マッカーサーはGHQに三つの原則を織り込むよう指示しました。
1 天皇は国の中心であること
2 戦争を放棄すること
3 封建的な条項(家制度、男女の不平等)をなくすこと
それでできたのが現憲法です。
 マッカーサーは新憲法ができたときアメリカ政府に「大日本帝国天皇が反省して戦争の放棄と人権尊重を明記した憲法を率先してつくった」という趣旨の嘘の報告書を出しています。ここで良し悪しは別として、天皇を戦争責任者にしないというマッカーサーの方針は守られ日本の戦後は始まり、平和と経済繁栄が実現しました。

■何故いま憲法を変えるのか
 1994年頃原子力開発をめぐってアメリカと北朝鮮が一発触発の状態になりました。その時はアメリカのカーター元大統領が北朝鮮を訪問しおさまりましたが、米軍としては今後の万が一の戦争状態を想定して作戦計画を立てました。それにはどうしても日本の協力が不可欠です。そして、1994年〜95年にかけて1059項目にもなる要望書が日本に出されました。一部を紹介します。
  • 米軍の作戦開始から10日以内に成田、関西、福岡、那覇など主要空港の使用と24時間通関体制・空港の労務の提供
  • 広島県川上弾薬庫から弾薬輸送のため10トントラック148台
  • 沖縄、岩国でトラック、コンテナー1333台
  • 嘉手納基地中心に三万セットの簡易ベッド
この米軍の要求を満たすため、日米ガイドライン、周辺事態各法案、盗聴法、国民保護法、個人情報保護法等が次々と成立し、自衛隊がイラクに派遣され、残すは憲法と共謀罪だけになったのです。十分な討論を経ないで急ぐ理由はアメリカの軍事戦略の都合があると思われます。

■自民党の改正案
 自民党案では、国家権力を制限する内容から国民を規制する内容に変えようとしています。現在の憲法は、誤った政策をとらないように国の方に憲法を守らせる内容になっていますが、改正案では、国民に対する規制を強化しています。「公益と公の秩序に反しない限り」とか「国を支え守る責務」という言葉が強調されていることは、その例です。
 議論が紛糾すると思われる24条その他に手をつけずに、前文、9条、個人の権利、靖国関連のみにしたことは、急いで憲法を直すことを優先したためと思われます。

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